いつもなら、「いかに映画原作のゲームがいつもゴミクズであるか」「良い映画原作のゲームが出るときなんて、完璧な惑星直列が起き、月が青に染まるときだけだ」などと、そう書かざるを得ない馬鹿話でこのレビューを始めていただろう。しかし、『James Cameron’s Avatar : The Game』(これが正式名称)は、衝撃である!驚いた!ゴミクズなどでは決してなく、この手のジャンルの枠を超えない星の標本に過ぎない作品とは少し違い、完全に中身の充実したサード・パーソン・シューティングゲームだと言ってしまって良い。
『アバター』の問題点は、その核となるメカニックにあるのではない(これは実際には優れている)。何度も繰り返されるミッションの全てが、葯のサンプルを何個かプレイヤーが採取して砕きに行くというような、似通った使い走りの任務であることだ。
この構想が再び動き出したのは、映像において、この10年でおそらくは最も大きな変革があったその2年前。ゲームの物語は適度なペースで進み、その先の展開も元々欠点が散在しているにも関わらず、上手くユーザーを熱中させている。欠点とは、むしろプレイヤーの種族側の指導者とその周りのキャラクターとのやり取りが、しばしば少しドライに見えることだ。
もしかしたら、パンドラのジャングルの背景を映画版と同じくらい驚きと不思議さに満ちた感じに作り込めなかったことの方が痛手だったかもしれない。しかし、画面に映っている密集して生い茂った葉は非常に素晴らしい。映像は3Dで見た方が全然良い。しかしその美しい効果を本当に正確に体験したいなら、高価な3Dテレビ(大体5000英ポンド/約73万円)を手に入れる必要がある。
ゲームは前半後半に分かれていて、前半のチャプターを終了する際に、物語を進める上で2つの選択肢の内どちらを選択するかという、極めて重要な最終決断を迫られる。アバターのまま、永遠にナヴィの社会に溶け込んで暮らすのか、人間のまま、貴重な資源を目的にナヴィを征服し一掃するのか?
道徳的には考える余地もない。ナヴィは明らかに良い人たちだし、熱狂的なRDA社はパンドラに侵入し、価値ある鉱物の採鉱を大義名分に、彼らの前に立ちふさがるものはいかなるものでも蹂躙する。これのどこが友好的なのか?
どちらを選択しても、各ミッションの本質は全く変わらない。これを集め、あれを集め、何かをもっと集め、などなど。要求にあまりにもバリエーションが少ないため、それぞれの任務目的にはいつも重いため息をついてしまうだろう。殺したり物を集めたり見つけたりすることが面白いゲームだというわけもなく、すぐにうんざりしてくる。
その上、ゲームの中で見所となる軍事作戦の数少ないアクションも、大抵湿った爆竹のようなものだし、始める前に完了してしまうことすらある。ナヴィの村への攻撃を例に取ると、敵のドラゴンヘリコプターとでも言うような物の上に飛び移るために、高い場所に登ることが要求されるシーンがある。プレイヤーはそれを地面に真っ逆さまに落として破壊するために、3回以上同じ行動を繰り返す。タイムリミットもないし、焦ったりリアルな緊迫感もない。
『アバター』は決して悪いゲームではない。ただ、特にすごいという訳ではないだけだ。メカニックそれ自体やグラフィックは確かにかなり立派なものなのに、繰り返しばかりの任務が全体を台無しにしてしまっているだけなのだ。そのせいで、キャンペーンを終える頃までには、ナヴィ側につくか、人間側につくか、もう一方を選択した場合の物語に取り組む気が起きないほど飽き飽きしてしまっているだろう。
『アバター』制作の努力は明らかに見て取れるし、映画原作のゲームの平均は上回っている。RPGの要素によって深みと長さが付加されているが、平均をほんの少しだけ上回るという評価を覆すほどとはちょっと言えない。
『アバター』は好感を持てるゲームではあるが、ちょっといまいちで、絶対に時間を割いて2通りの物語の両方をクリアした方が良い、とまでは言えない。しかし、映画の方に関して言うと、絶対に見ないと損をするだろう。
60%



